グランパスからの飛躍 〜海を渡り日の丸を背負うまで〜

グランパスからの飛躍 〜海を渡り日の丸を背負うまで〜

2022FIFAワールドカップ カタール(以下、カタール大会)では、相馬勇紀選手のほか、元グランパスの3選手(吉田麻也選手、伊藤洋輝選手、川島永嗣選手)も日本代表メンバー入りをしました。彼らのグランパス時代から海を渡り、日の丸を背負うまでの道のりを紹介します。

日本代表の顔となった頼もしいリーダー 吉田麻也

 カタール大会では、キャプテンとして日本代表を引っ張ったのが吉田麻也選手。ワールドカップ3大会、オリンピック3大会に出場するなど、ディフェンスリーダーとして長らく日本代表を支えてきました。

 そんな吉田選手はグランパスアカデミー一番の出世頭と言っても過言ではないでしょう。2001年にグランパスU-15へ入団すると、2004年にはU-18、2007年にはトップチームへと順調に昇格。1年目から試合に抜擢されると、その翌年に就任したストイコビッチ監督の目に留まり不動のレギュラーへと成長しました。2010年にオランダのVVVフェンロへ移籍すると、以後はサウサンプトン(イングランド)、サンプドリア(イタリア)、シャルケ(ドイツ)とヨーロッパ主要リーグのクラブに所属し、プレーをし続けています。

 屈強な外国人選手にも当たり負けをしないフィジカルの強さが特徴の一つ。ドイツ戦やスペイン戦でも、ピンチを未然に防ぐ場面がたびたび見られました。

 国際大会の経験が豊富な上、理論家でもあることから、将来は指導者としての期待も。本人も「ゆくゆくは代表監督をやりたい」と公言しています。グランパスへの強い愛も持っているだけに、いつかグランパスの監督に就任する日が来ることを期待しましょう。

悔しい思いは4年後のW杯で晴らす 伊藤洋輝

 コスタリカ戦の途中から交代出場し、3バックの左に入ってプレーした伊藤洋輝選手。身長188センチの恵まれた体格を生かした高い守備力と左足から繰り出す正確なキックが持ち味のディフェンダーです。2022年6月に日本代表に初選出されると、そのまま森保一監督の信頼を勝ち取り、カタール大会の日本代表メンバー入りも果たしました。

 伊藤選手は静岡県浜松市の出身。ユースチームを経由して2018年にジュビロ磐田でプロデビューを果たしています。その翌年にはグランパスへ期限付き移籍をし、1年間グランパスに在籍。リーグ戦2試合、カップ戦6試合、天皇杯1試合に出場しました。出番は限られていたものの、出場した試合で左足から強烈なシュートを放つなど、インパクトを残しています。磐田へレンタルバックされた後、2021年には遠藤航選手も在籍するドイツのシュトゥットガルトへ。そこで持ち前の才能が花開き、見事に代表入りを勝ち取りました。

 しかし、コスタリカ戦では得意の精度の高いキックを披露できず、物足りない内容に。大会後には「非常に悔しい思いをしたのでこのままでは終われない。まずは自分のチームで結果を残すことからやっていきたい」と4年後へのリベンジを誓いました。そのポテンシャルの高さは誰もが認めるところ。更なる飛躍に期待がかかります。

影になりチームを支えた大ベテラン 川島永嗣

 試合への出場こそありませんでしたが、2010年から3大会連続で日本のゴールマウスに立った経験を生かし、若いチームを陰で支えたのが川島永嗣選手。カタール大会では第3GKの位置付けとなり、出番は限られていましたが、練習では先頭に立って大声を出し、時には若い選手を叱咤する姿も見られました。

 そんな川島選手は2004年から3年間グランパスに所属。楢﨑正剛選手という不動の正GKがいる中で、「高いレベルでの競争が自身の成長に繋がる」とあえてグランパスへの移籍を決めました。力およばず控えに甘んじる日々が続きましたが、川島選手にとって決して無駄な時間ではなかったようです。

 2007年に川崎フロンターレへ移籍してレギュラーの座を獲得すると、翌年には日本代表に初招集。その後、ヨーロッパへ渡り経験を積むと、2010年の南アフリカ大会では楢﨑選手からポジションを奪い取り、日本の守護神へと成長しました。

 カタール大会での日本代表の躍進を支えた陰の功労者の1人は、大会後にSNSで日本代表からの引退を示唆。日本代表のチームメイト、スタッフ、サポーターに対し「皆さんと経験したすべての日々が僕にとって永遠の宝物です」と綴っています。川島選手、14年におよぶ日本代表での活動お疲れ様でした!

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