
第11回『多治見のモザイクタイル』
目次
多治見(たじみ)が生産量日本一の 「モザイクタイル」とは?
お風呂(ふろ)やトイレでも使われている
多治見市笠原町(かさはらちょう)が生産量日本一をほこる、モザイクタイル。もっともさかんに生産された昭和時代には、笠原町だけで100をこえるタイル工場があったとされており、現在もその生産量は全国一位です。
モザイクタイルは、面積が50cm2以下の小さなタイルのこと。丈夫(じょうぶ)な性質を生かし、建材(けんざい、建物を建てるときに使う材料)として、壁(かべ)や床(ゆか)を保護するために使われてきました。また、人々が生活する家の中を清潔に保つために、その防水性と耐久性(たいきゅうせい)を生かして、お風呂やキッチン、トイレの床材など水回りでも活用されるようになったのです。
実は、モザイクタイルは正方形だけではありません。長方形や六角形、丸形、ハート形など、形もさまざま。形や色、タイルの素材を組み合わせて模様(もよう)を作り、部屋をかざれるところがモザイクタイルの良さです。
モザイクタイルの役割(やくわり)
- 建物を建てるときの材料として、壁や床を保護する
- 水に強く、掃除(そうじ)もしやすいため、水回りを清潔に保てる
- インテリアのかざりとして、アクセントになる
モザイクタイルのルーツは美濃(みの)焼にあり!?
モザイクタイルは、なぜこの地で生産されるようになったのでしょうか?その歴史には、岐阜県東濃(とうのう)地方で1300年以上の伝統をもつ、陶磁器(とうじき)の「美濃焼」が深くかかわっています。その美濃焼の伝統と技術を背景(はいけい)として、1914(大正3)年に多治見町で生まれたのが、「美濃焼タイル」でした。
その後、関東大震災(かんとうだいしんさい)の被害(ひがい)をきっかけに、建物のつくりがレンガから鉄骨(てっこつ)・鉄筋(てっきん)コンクリートへと変わっていった日本。すると、コンクリートを保護する役目として、外装(がいそう)や壁、床などにタイルが使われるようになっていきます。
昔は「茶碗(ちゃわん)の町」とよばれ、美濃焼の茶碗の生産地だった笠原町。昭和初期に、窯業(ようぎょう)技術者の山内逸三(やまうちいつぞう)氏によって、モザイクタイルの生産がはじまりました。焼き物ならではの、はなやかで深みのある色。小さなタイルだからこその、あつかいやすさ。そんなデザイン性と機能性をあわせもつモザイクタイルは、戦後に生まれた「美濃焼」のなかで、もっとも発展(はってん)したと言われています。
そして、昭和30~40年代後半にかけて、高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)とともに進んだ建築ブームのなかで、さらにタイルの文化が発展。笠原町で作るモザイクタイルは、国外へ輸出される生産量全体のうち70%をしめるほどになりました。こうして日本一のモザイクタイル生産地となり、国内外で笠原町のモザイクタイルが使われるようになったのです。
ミュージアムで見学&手作り体験を楽しもう!
そんな美しいモザイクタイルを実際に見るなら、多治見市笠原町に2016年にオープンした「多治見市モザイクタイルミュージアム」へ行ってみませんか?
モザイクタイルがはられた浴槽(よくそう)や洗い場(あらいば)、タイルでえがかれた絵などが展示されています。昭和時代のモザイクタイルの見本や、歴史や製造工程をたどる映像(えいぞう)などを通して、モザイクタイルの良さを感じられるでしょう。
さらに、モザイクタイルをより身近に感じられるオリジナル小物作り体験ができる工房(こうぼう)や、モザイクタイルのグッズがあるショップも。お休みの日に、ぜひ家族で行ってみてくださいね。
ランランちゃんの
今日のまなび
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多治見市笠原町は、モザイクタイルの生産量が日本一
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多治見市のモザイクタイルは、美濃焼の伝統と技術を背景として生まれた
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水に強い性質を生かして、お風呂やトイレなどの水回りにもたくさん使われている
取材協力
参考サイト
・美濃タイル商業協同組合
https://minotile.com/about/