徳川家康

第14回『岡崎城』

目次

徳川家康が生まれたのは愛知県岡崎城?

ランラン

戦国大名の徳川家康ってどこで生まれたか知ってる?

知ってる!愛知県岡崎市だよ。1542(天文 11)年、愛知県の東のほうにあった三河国(みかわのくに)の岡崎城で生まれたんだ。

ワイファイ
ランラン

へー、知らなかった!岡崎城ってどんなところなんだろう?

じゃあ今回は、徳川家康と岡崎城の歴史について学んでみよう!

ワイファイ

愛知県岡崎市は徳川家康のふるさと

岡崎城

写真提供 岡崎市

徳川家康は、織田信長、豊臣秀吉とともに「三英傑(さんえいけつ)」とよばれる戦国武将(ぶしょう)の一人で、江戸幕府(えどばくふ)を開いた初代将軍です。家康が生まれたのは愛知県岡崎市。1542(天文 11)年 12 月 26 日に、三河国の岡崎城で竹千代(たけちよ、幼いころの家康の名前)は生まれました。西の尾張国(おわりのくに)では織田信長のお父さんである織田信秀(のぶひで)が、東の駿河国(するがのくに)では今川義元(いまがわよしもと)が強大な力を持っていた当時の三河国。竹千代は、6 歳(さい)のときには信秀の、8 歳のときには義元の人質となって少年時代を過ごしました。しかし 1560(永禄 3)年、桶狭間(おけはざま)の戦いで義元が戦死したのをきっかけに、19 歳で岡崎城にもどることに。家康の天下統一への道は、ここからスタートしたのです。

愛知県の名物「八丁味噌(はっちょうみそ)」と徳川家康の関係

  • 岡崎城がある愛知県岡崎市は、八丁味噌がたくさん作られることで有名な場所
  • 「八丁味噌」の名前は、徳川家康が生まれた岡崎城から「西に八丁(約 870m)の距離(きょり)」にある八丁村(現在の八丁町)で作られていたことが由来
  • 家康は八丁味噌のもともとの形といえる豆味噌を好んで食べたといわれている

そもそも岡崎城はいつ建てられた?

岡崎城_ライトアップ

写真提供 岡崎市

岡崎城は、1452(享徳元)年から 1455(康正元)年にかけて、明大寺(みょうだいじ)付近に住んでいた西郷頼嗣(さいごうよりつぐ)によって、龍頭山(りゅうずさん、現在地)に築かれた城です。この時に築かれた岡崎城は砦(とりで、本城の外にある重要な場所に築く小さな城)でした。その後、1531(享禄 4)年に徳川家康のおじいさんである松平清康(まつだいらきよやす)が本格的に岡崎城を作って本拠地(ほんきょち)とし、城の周りを工事して整えたとされています。江戸時代になると、天下統一を果たした家康が生まれた場所として岡崎城は「神君出生(しんくんしゅっせい)の城」といわれ、パワースポットのような存在(そんざい)に。そのため、大名たちは岡崎城主となることが誇(ほこ)りだったのだそうです。しかし、約 260 年続いた江戸時代が終わると、明治維新(めいじいしん)により政治や世の中の動きも変化していきました。1873(明治 6)年から 1874(明治7)年にかけて、城の大部分は、新たな時代には必要がないと判断され、取りこわされてしまったのです。それ以来、堀(ほり)と石垣(いしがき)だけが残る岡崎城でしたが、天守閣(てんしゅかく)がないままの岡崎城に悲しむ市民の思いを受けて、1959(昭和 34)年には、ほとんど元通りの見た目で復興されました。

徳川家康と岡崎城の関わり

  • 1560(永禄3)年:今川義元の人質であったが、桶狭間の戦いで義元が戦死して以来、岡崎城を本城とする
  • 1570(元亀元)年:拠点を浜松城に移し、長男である信康に岡崎城をゆずる
  • 1584(天正12)年:尾張小牧山に出陣(しゅつじん)して豊臣秀吉と戦い、長久手にて岡崎城を攻(せ)めようとした豊臣軍に勝つ

当時のすがたを思わせる岡崎城のまわりの町なみ

岡崎城_紅葉

写真提供 岡崎市

現在は岡崎公園の名で、桜が見られる有名な場所としても親しまれている岡崎城。「さくら名所 100 選」や「日本 100 名城」にも選ばれています。

かつて岡崎の城下町には、城下を守るための「岡崎二十七曲り(おかざきにじゅうななまがり)」とよばれる、くねくねとした道が作られました。現在の街道にも、二十七曲りの名残(なごり)である碑(いしぶみ、文字をほった石)や常夜燈(じょうやとう、道沿(ぞ)いに置かれる明かり)が残されているのだとか。宿場町としてにぎわった岡崎の町なみやグルメを楽しみにおとずれてみませんか。

2023年1月に「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」がオープン

  • 2023(令和5)年1月から大河ドラマ「どうする家康」がスタート
  • 放送に合わせて、2023(令和5)年1月21日(土)に大河ドラマ館がオープン
  • 地下フロアの常設展示室では徳川家康や三河武士に関する展示(てんじ)が行われ、「どうする家康」の世界観が楽しめる

ランランちゃんランランちゃんの
今日のまなび

  • 今川義元の死後、岡崎城にもどったことから家康の天下統一につながる歴史が始まった

  • 家康のおじいさんが現在の岡崎城の位置に本拠地を構えて、本格的に城のまわりの工事を行い整えた

  • 岡崎城は明治時代に一度は取りこわされてしまったが、市民の思いを受けて 1959(昭和 34)年に復興された

取材協力

三河武士のやかた家康館

三河武士のやかた家康館(どうする家康 岡崎 大河ドラマ館)

徳川家康の出生から天下統一までの歴史や、家康を支えた三河武士たちについて解説する施設。2023 年 1 月 21 日(土)~2024 年 1 月 8 日(月・祝)に、同施設の 1 階と地階一部にて「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」がオープンします。

三河武士のやかた家康館HP どうする家康 岡崎 大河ドラマ館HP

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