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第18回『鳥羽・志摩の海女(あま)』

目次

鳥羽・志摩で海の幸をとる海女(あま)さんとは?

ランラン

三重県の鳥羽や志摩では、海にもぐって貝や海藻(かいそう)などをとる仕事をしている人がいるの?

海女さんのことだね!海女漁の技術は文化財としても有名なんだよ。

ワイファイ
ランラン

そうなんだ!どんな漁をしているんだろう?

じゃあ今回は、鳥羽・志摩の海女さんと海女漁の歴史について学んでみよう!

ワイファイ

海にもぐる海女さんってどんな人?

写真提供:三重県教育委員会

海女とは一般的に、素もぐりでの漁を職業とする女性のこと。海女たちがとるのは、アワビやサザエといった貝類やエビ、海藻などさまざまな海の幸です。

体ひとつで海にもぐる海女は、船の上でも水の中でも、えものがとれる場所を的確に判断する目を持っています。船の上からは、周辺の島や山の位置をもとにもぐる場所を決めたり、ブイの流れから潮(しお)の流れを読み取ったりしていて、水中では岩場のすき間や石の重なりを見てえものの居場所を見極めているのだとか。

鳥羽・志摩の海女漁では、サイズが 10.6cm 以下の小さすぎるアワビはとらないようにしたり、アワビの赤ちゃんを海に放したりするなど資源(しげん)管理の取り組みも行っています。


鳥羽・志摩の海女漁の方法は?

  • フナド...夫婦や親子といった男女の組み合わせで船に乗り、共同作業で漁を行う方法
  • ノリアイ...1隻(せき)の船に複数の海女が乗り合わせて、それぞれの漁場に分かれて漁を行う方法
  • カチド...海女が陸地から泳いでいき、漁を行う方法

海女漁の歴史は縄文時代から!?

写真提供:三重県教育委員会

古くから海女漁と海女文化が受けつがれてきた鳥羽・志摩。では、海女漁はいつから行われていたのでしょうか?

日本列島では、なんと縄文時代中ごろの貝づかから、漁に使用したと思われる道具や貝がらが発見されています。鳥羽市浦村(うらむら)の白浜遺跡(しらはまいせき)でも、アワビの貝がらが見つかり、アワビは海にもぐらないととれないことから、すでに海女漁が行われていたのではないかと考えられています。

さらに、奈良時代に現在の志摩市から当時の都であった平城京にアワビが運ばれたという記録が残っていたり、日本で最も古い歌集である「万葉集」に海女漁についてよまれた歌がのっていたりすることからも、海女漁には長い歴史があることがわかります。

鳥羽・志摩の海女漁は、素もぐり漁の歴史や伝統的な道具を使う特色ある漁の方法、「セーマン」「ドーマン」とよばれる魔除(まよ)けのおまじないなど、地域性(ちいきせい)やならわしが多く残っていることから、2014(平成 26)年には県無形民俗文化財(けんむけいみんぞくぶんかざい)に、2017(平成 29)年には国重要無形民俗文化財に指定されています。

 

海女小屋体験で新鮮(しんせん)な海の幸を味わおう!

鳥羽・志摩には、海女文化を体験できる海女小屋があるのを知っていますか?海女小屋は海女にとって、漁の合間のきゅうけい場所でありながら、漁の知識や技術を伝える前線基地でもあります。

鳥羽市相差町(おうさつちょう)にある「海女小屋はちまんかまど」では、海女さんから海女文化について話を聞きながら、目の前で海女さんが焼いた新鮮な魚介(ぎょかい)類を味わうことができますよ。海女さんに変身できるコスプレ体験のオプションもあるので、家族で楽しむのもおすすめです。

鳥羽・志摩には、現在 800 人近くの海女さんがいますが、高齢者(こうれいしゃ)が多く、あとを継(つ)ぐ人も減っているそうです。海女漁は、これからも守っていかなければならない日本の伝統文化です。漁業と文化財を支える海女さんに会いに、そして新鮮な海の幸を求めて、鳥羽・志摩をおとずれてみてくださいね!

 

ランランちゃんランランちゃんの
今日のまなび

  • 海女とは素もぐりで漁を行う女性の職業のこと

  • 海女漁は縄文時代のころからあったとされている

  • 鳥羽・志摩の海女漁の技術は国重要無形民俗文化財に指定されている

取材協力

三重県教育委員会 社会教育・文化財保護課

教育や文化財の面から県民をサポートし、あらゆる情報を発信する三重県の組織。社会教育に関する指導・助言や、天然記念物や文化財の保護・公開・活用に関する仕事をしています。

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海女小屋はちまんかまど

三重県鳥羽市相差町にある海女小屋。本物の海女さんたちとふれあいながら海女文化を学び、新鮮な海の幸を味わえる体験メニューをたくさん用意しています。海女小屋体験は事前に要予約。

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